絵を描くという営みは、ときに観察であり、ときに内省でもある。山根ゆうの作品群を眺めていると、その二つの軸が静かに交差する瞬間に立ち会う。電車のなかで目にした乗客の横顔、窓外に流れる街の輪郭──それらを手早く写し取ったスケッチと、具象の枠組みを離れて色彩と形態そのものが呼応し合う抽象画。どちらも「描く」行為から生まれたものでありながら、そこに宿る時間の質は対照的だ。
車窓から捉える日常の断片
揺れる車両のなかで、視線の先には見知らぬ誰かがいる。疲れた表情、うつむいた姿勢、窓の外を眺める横顔。それらは一瞬で過ぎ去り、記憶にも残らない。けれど山根ゆうの手は、その一瞬を逃さない。スケッチブックに落とされた線は、移動する時間のなかで捉えられた断片そのものだ。日付がタイトルとして付された一連の作品は、いつ、どこで描かれたかを静かに示している。
別の日、別の車両。けれど視線が向かう先は、やはり人の姿だ。
季節が変わり、車窓の景色も移ろう。それでも作家の手は、同じように動き続ける。
ある日の光景が、また別の日の記憶と重なり合う。
そして冬のある日、捉えられたのは──
移動という行為が生む偶然の出会いと、それを留めようとする手の速さ。日付だけが記された作品群は、日常の記録であると同時に、観察者としての作家の眼差しを物語る。
この作品群の見どころ
山根ゆうの作品は、インスタレーションから絵画へと表現方法を変えてきた軌跡そのものが価値を持ちます。空間的思考で培われた構成感覚が、平面作品にどう投影されているか。気ままに描かれた筆の跡から、既存のジャンル枠を超えた創作姿勢が浮かび上がります。
内側から立ち上がる色と形
具体的な何かを描くのではなく、色と形そのものが呼吸する画面。ここには観察の対象がない。代わりに立ち上がるのは、作家自身の内側から湧き出る感覚だ。かつてインスタレーションや立体作品を手がけてきた山根ゆうにとって、空間を構成する行為と平面上で色を置く行為は、どこかで地続きなのかもしれない。抽象表現は、外側を見つめる眼差しとは異なる時間のなかで、静かに結晶する。
観察から解放されたとき、手は何を描くのか。その問いへの応答が、この一枚には宿っている。
観察から始まり、やがて内側へと向かう眼差し。山根ゆうの作品は、その往還を繰り返すことで豊かさを増していく。電車のスケッチに感じる親しみと、抽象画が呼び起こす静謐な問い。どちらか一方だけでは見えてこない、作家の手の記憶と思考の軌跡が、ここにはある。気ままに描くという自由さのなかにこそ、表現の核心が宿っているのかもしれない。